コロナのこと・2020/4/20の日記

(パソコンの中から出てきた、以前の日記)


いろんな人が、いろんな角度で
コロナのことを捉える、話す。

私はコロナのことで
不安に思うことは一切なくて

それはコロナだけじゃなく
わりと、一般的にピンチって言われること、全般に対してかもしれないけど

状況が大変な時ほど
冷静に頭が働いて、じゃあどういう動きがベストなのかなって考える。

今回、大変なことになるって世間的に言われているのは
病気と経済のこと。

どっちも私の中ではクリアにしていることがあって
どっちも大丈夫って思ってて、

人の説明するのは時間がかかるけど

ただ言えるのは

冷静になれば見えてくるものがあるから
パニックになりさえしなければ、最善のことができる。

さらにリラックスできれば
もっと、周りを見渡せるし、選択肢が増える。

ピンチと思ってたけど、実はチャンスって気がつくし
自分の願いが実は叶ってた!ってことにも気づく。

起こることは、起こることとして
周りがどうあれ、自分の中は静かで
在りたい自分、やりたいことがあるだけだ。

私の中には
根底にはいつも安心があって

それは
私が何度か死にかけたことがあったせいかもしれないけれど

私がこの人生での一番やりたいことは
「安心の世界」を広げたいことで

だから、いろんな辛い体験もしたんだなって思う。

絶望を味わった瞬間があっても
いつも希望がある。

光はいつもある。

昔の私は

絶望のさなかには
その中にどっぷりつかっていた。

辛くて、辛くて、悲しくて、無力で。

病気の時には
あんなに長く、壮絶だったにも関わらず
絶望はなく、どこかにいつも希望と安心があった。

症状がましな時のほっとした合間には
病気にありがとうって思うことすらあって、自分でも不思議だった。

辛かったけど、無力ではなかった。

今は一切の不安がない。

コロナショックと言われる今の状況も
怖いとか、辛いとか、不安がまったくない。

好きなお店が潰れたり、友達がコロナや経済で不安に思ってるの
見るのは嫌だし、なんとかしたいっては思うけど

自分のことに関してはまったく、不安がない。
不自由がない。

電車や飛行機には早く、自由に乗りたいなって思うけど
でも、それができないことで
新しい発見がある。

日常の、みじかな場所で
今まで以上に穏やかで素敵な時間を過ごせているし

先延ばしにしてた問題も、手をつけはじめた。
お尻に火が付いて、きっかけをもらえた感じ^^

無力だと思うことが、不安を生むのかな。

自分ではどうにもならない
いつこの状況が終わるのかわからない

それが不安を生むのかな。

今、コロナや経済のことで不安に思っている人がいるなら
「大丈夫」が見える方法を伝えたい。

「ない」ではなく「ある」
「できない」ではなく「できる」の前提で捉えると
見えてくるものがある。

私の話はあっちへいったり、こっちはいったり
理路整然と伝えるのは不得手。

でも、いろんな人がいろんな角度で
「この状況を冷静に見て!」
と、いろんなデータを出してくれている。

さっき、FBで友達が
冷静に。科学的観点からこの状況を見よう」って

YouTubeの記事をシェアしてた。

私は切り口は違うけど
言いたいことは同じ。

冷静に、落ち着いて、客観的に事実を捉えよう。

巻き込まれないで、自分の中心とつながろう。

そしたら

自分はその状況のなかで
どうしたい?どう在りたい?

があるだけだ。

外側は関係ない、
関係あるけど、関係ない。

うーん、うまく言えないな。
長くなっちゃうな。

周りや起こることがどんなでも
いつも安心な世界を生きたい人、その方法に興味がある人は
メッセージください。

私は会うことで状況を変化させるのが得意だから
会うのが手っ取り早いです。

そろそろレッスンも再開しよう。

この状況が「恐ろしいこと」「どうしようもない事」ではなく
事実として、起こっていることを落ち着いて見たら
大丈夫なんだって思えることがある。

安心な人が増えたらいいな。

安心な世界を広げたい。


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