父と海と

先週、私の父と母を連れて
垂水に行きました。

そんなに乗り気じゃなかったのに
海見たら、スイッチが入ったらしい父。

着いたとたん、小石を拾って
海に向かって、水切りを始めた。


こんなお父さん、初めて見たよ。

なんてシャープな動き!
最近は寝たり起きたりの毎日だから、びっくりした。

子供の頃は野球をやってて、ピッチャーで四番だったんだって。

2年ぶりの外出。
この日は夜中、一度も目が覚めずに
ぐっすり眠れたって言ってた。

自然の中で過ごす時間。
みんなでいっぱい笑ったね。


体の具合が良くないと、やりたいことも思いつかない。
先のことも、何も思い浮かばない。

でも、海を目の前にしたら
好きな釣りのことや、体を動かす楽しさを思い出した父。

海には絶対はいらないって言ってたのに
誘ったら、さっさと靴下脱いで
「こういう石の下に、カニがおるんやぞ」って探し始めたりして。

人が生き生きとしている姿を見るのは
本当に嬉しい。

病気なんて関係ない。
キラキラしてる。

大好きなお父さん、早く元気になってね。

10月でも日に焼けるね。会う人みんなに、黒いねーって言われちゃったよ。

今この瞬間を生きれば、願いが叶うのは一瞬♡再度山のお散歩(2)

続きです。

橋のうえでMちゃんが、突然
「みほさん、こっち来て!」って呼びました。

持ってきたインディアンフルート、
みほさんへの祝福の曲を即興で作ったから、プレゼントするよって。

聞いてる途中、踊りだしたくなったけど
「あー、これってなんだか、儀式みたいだ」って思って
言われたとおり、彼に背中を向けて、木漏れ日の方向を見ながら
神妙に聞いていました。

私にとって儀式の時って
神妙にするっていうのがポイントなので(笑)

裸足、気持ちいい。砂利のところは足つぼ感覚・笑


あとで、二人で
儀式の大切さ、その影響力の大きさについて話しました。

昔、ヨガをやってた時卒業試験があった。

キャンドルの前で、なんかよくわからないまま
卒業の儀式を受けたんだけど

意味もわからず、決まりだから参加する、って感じで
ただ座って、言われた通りのことをやった。

成人式とか、結婚式もそうだった。

よくわからない。意味とか考えないし、それを感じるとかよりも
ただ、「そうするもの」としてやった。

儀式という感覚より、イベントみたいな感じ。
無自覚に生きていました。


インドやバリで、現地で仲良くなったローカルの友達に
「Mihoko、違う国の文化を体験してみない?」って誘ってもらって
参加したヒンズー教の儀式。

向こうの衣装を着て踊ったり、見よう見まねで手を合わせたり
ただ、楽しいだけの感覚。

意味なんてわからない。宗教に対する信仰心もない。

でも、それでもちゃんと儀式だった。
全部、そのエネルギーが体に、細胞に、意識に通ってたんだなって
あとになって気づいたわ。

意味のないことなんて、ひとつもなくて
全部がとどこおりなく、お膳立てされているかのようだった。

私にとっては、それら全部が癒しの旅。
アルケミストを目指す道。

川に入って、水の清らかさを堪能して
(大きい魚、小さい魚、いっぱいいたよ!)
裸足で峠の茶屋まで歩いて、おにぎりとお味噌汁、卵焼き。

お腹に染み込むみたいにおいしかったです♡

水。流れ。感じるの、好き。再度山また行こう。

つづく。

今この瞬間を生きれば、願いが叶うのは一瞬♡再度山のお散歩で(1)

昨日、Mちゃんと神戸の山に行きました。

彼とは数日前、Facebookで繋がって
お誘いが来た時は
「え?なんだろ?イベントのお誘い?」って思ったけど

結局、ただ一緒に遊ぶって話で
一気に仲良くなった。

裸足で、朝のお散歩いかが?ってお誘いが来て
日にちの約束はするけど、お互い、当日の朝起きた時のフィーリングで
行くかどうか決めましょうって。

前日、「どんな感じ?こっちは全然(行く感じ)ないんだよね。」
とかメール来たりして。
朝も返事がこなくて、でも私は「一人でも行こう♡」って
早朝からの自然のある場所へのお出かけにワクワクして。

電車が止まったり、時間に遅れたり、
でも結局
全部が私の想定を超えて、願いが叶ってく。
想像以上の豊かさ。

彼と会うまでのやり取りの中で
私がいかに日本で、枠に縛られて、というか

型通りの、エネルギーの乗っていない言葉を使っている部分が見えて
彼が「銀粉が降ってくる技、伝授するよ」って
言ってたけど、もう、そのメールのやり取りの中で
その意味がわかった。

願いが現実化するっていうのは
その銀粉が集まって、物質になること。

それがなる時、ならない時っていうのが
感覚でわかった。

彼は私が知っている中で
一番、「今」の自分の感覚を大事にして
それを生きている人。

あ、一番って書いたけど、後二人、友達を思い出しました・笑
タイプが違うから忘れてた。
彼女たちも物心ついた時から、自分の意志をしっかり持っていたタイプで
私とは違うタイプ。

私の場合は、自分の感覚を抑えて
親や先生や周りの人に合わせて生きてきて
病気の後、ようやく、自分の感覚を思い出していった。

彼のように2、3歳の頃からそうしている人と違って
大人になってから気づきました。


「今、この瞬間の、自分の感覚」で動くことができるのは
一人で海外にいる時だけで、

そうしている時は、ミラクルとシンクロの連続。
楽しくて、ご機嫌で、豊か。

それを日本でもどうやったらできるかを、ずっと練習してきてて
後もうちょっと
それが感覚的につかめたら・・・って思ってたら
Mちゃんと繋がった。

Mちゃんと出会った一瞬で、紐解けていったわ。
パズルのピースがまた一つ
はまった。

大きな大きな、自分の人生の
ジグソーパズル。

結局、銀粉が舞い落ちてくる方法の伝授の話は
遊ぶのに夢中で忘れてた・笑

水の流れ。言葉じゃないものが流れていく。素直になる。

言葉が結晶化されて、現実になる感覚。
自分が癒されて、滞りがさらさらと流れるようになって

「今」この瞬間を
考えることなく、動いていく感覚。

この両方があって、
叶えたい現実が叶う。

無意識に願っていることと
言葉化して願ったことが一致するんだな。

さらさらと人生が流れていく。

(2)につづく。

コロナのこと・2020/4/20の日記

(パソコンの中から出てきた、以前の日記)


いろんな人が、いろんな角度で
コロナのことを捉える、話す。

私はコロナのことで
不安に思うことは一切なくて

それはコロナだけじゃなく
わりと、一般的にピンチって言われること、全般に対してかもしれないけど

状況が大変な時ほど
冷静に頭が働いて、じゃあどういう動きがベストなのかなって考える。

今回、大変なことになるって世間的に言われているのは
病気と経済のこと。

どっちも私の中ではクリアにしていることがあって
どっちも大丈夫って思ってて、

人の説明するのは時間がかかるけど

ただ言えるのは

冷静になれば見えてくるものがあるから
パニックになりさえしなければ、最善のことができる。

さらにリラックスできれば
もっと、周りを見渡せるし、選択肢が増える。

ピンチと思ってたけど、実はチャンスって気がつくし
自分の願いが実は叶ってた!ってことにも気づく。

起こることは、起こることとして
周りがどうあれ、自分の中は静かで
在りたい自分、やりたいことがあるだけだ。

私の中には
根底にはいつも安心があって

それは
私が何度か死にかけたことがあったせいかもしれないけれど

私がこの人生での一番やりたいことは
「安心の世界」を広げたいことで

だから、いろんな辛い体験もしたんだなって思う。

絶望を味わった瞬間があっても
いつも希望がある。

光はいつもある。

昔の私は

絶望のさなかには
その中にどっぷりつかっていた。

辛くて、辛くて、悲しくて、無力で。

病気の時には
あんなに長く、壮絶だったにも関わらず
絶望はなく、どこかにいつも希望と安心があった。

症状がましな時のほっとした合間には
病気にありがとうって思うことすらあって、自分でも不思議だった。

辛かったけど、無力ではなかった。

今は一切の不安がない。

コロナショックと言われる今の状況も
怖いとか、辛いとか、不安がまったくない。

好きなお店が潰れたり、友達がコロナや経済で不安に思ってるの
見るのは嫌だし、なんとかしたいっては思うけど

自分のことに関してはまったく、不安がない。
不自由がない。

電車や飛行機には早く、自由に乗りたいなって思うけど
でも、それができないことで
新しい発見がある。

日常の、みじかな場所で
今まで以上に穏やかで素敵な時間を過ごせているし

先延ばしにしてた問題も、手をつけはじめた。
お尻に火が付いて、きっかけをもらえた感じ^^

無力だと思うことが、不安を生むのかな。

自分ではどうにもならない
いつこの状況が終わるのかわからない

それが不安を生むのかな。

今、コロナや経済のことで不安に思っている人がいるなら
「大丈夫」が見える方法を伝えたい。

「ない」ではなく「ある」
「できない」ではなく「できる」の前提で捉えると
見えてくるものがある。

私の話はあっちへいったり、こっちはいったり
理路整然と伝えるのは不得手。

でも、いろんな人がいろんな角度で
「この状況を冷静に見て!」
と、いろんなデータを出してくれている。

さっき、FBで友達が
冷静に。科学的観点からこの状況を見よう」って

YouTubeの記事をシェアしてた。

私は切り口は違うけど
言いたいことは同じ。

冷静に、落ち着いて、客観的に事実を捉えよう。

巻き込まれないで、自分の中心とつながろう。

そしたら

自分はその状況のなかで
どうしたい?どう在りたい?

があるだけだ。

外側は関係ない、
関係あるけど、関係ない。

うーん、うまく言えないな。
長くなっちゃうな。

周りや起こることがどんなでも
いつも安心な世界を生きたい人、その方法に興味がある人は
メッセージください。

私は会うことで状況を変化させるのが得意だから
会うのが手っ取り早いです。

そろそろレッスンも再開しよう。

この状況が「恐ろしいこと」「どうしようもない事」ではなく
事実として、起こっていることを落ち着いて見たら
大丈夫なんだって思えることがある。

安心な人が増えたらいいな。

安心な世界を広げたい。


免疫と自己治癒力

昔の、体がボロボロだった頃の私を知っている人から
突然、電話がありました。

どうしてそんなに元気になられたんですか?って。

この間、数年ぶりで街でばったり会って
びっくりしたんだって。

肌がすごく綺麗になってる
すごく元気そう!って。

もうほとんど忘れていたけど
当時から比べたら、そりゃあびっくりされるよね。

今も、客観的にみて
決して肌が綺麗な方じゃない。
まだ、まだ、再生の途中。

でも、あの頃は
一気に20歳も年老いた感じになって
鏡を見るのも恐ろしかったくらいだったから

それから比べたら💕

時々、何をしたら、そんなに元気になれるの?
って聞かれることある。

何が?ってわけじゃない。
体のしくみを知るとおもしろいよ。

自分の体は自分で治せる。

昨日、電話をくれた人
「自分の免疫力を上げたいんです!自己治癒力を上げたい!」
って、何度も言ってた。

そんなに親しい間柄じゃないし、電話なんて初めてだったから
私もびっくりしたよ。

だけど、こういうのって縁だからね。

知ってること、全部教えてあげたい。

こんなに元気になりました。
外にも自由に、出られるようになったよ🌸

人の科学の力も、やっぱり愛。それが受け取れるようになったよ♡

ナチュラルなものが好きで
科学や機械を使うのが苦手だった。

親が子供の私に、何気なく(良かれと思って)
使っていた薬の副作用で
あとになってから、恐ろしいほど苦しんだせいもあって。

小さい頃から、自然の中で
小さな生き物や植物が一番近しく感じていた。

そのほかの、人間や人間が作り出すものは
関わるのが難しかった、ずっと。

でも、数年前、十三の小さな映画館で
「祈り」っていう映画を見たとき!

ドキュメンタリー。

目に見えない世界が
科学でここまで解明されてきているのか!
って、見終わったとき、立ち上がって拍手をしたくなったっけ。

映画館の人はまばらで
私の前のおじさんが
ずっと爆睡していたのが信じられなかった(笑)

福島の津波のとき

初めて、祈りの力を体感して、びっくりして
だから人は祈るのか!って謎が解けて

でもそれを言葉に表現したり説明ができなかったから

「よくぞ!」ってすごく嬉しかった。

もう一つ、同じように前のめりで
見入ったドキュメンタリーは岡本太郎の「太陽の塔」✨

あ、あちこち飛んじゃう。「太陽の塔」はまた今度。

話し戻すと

今、再生の大きな事業に関わっていて
そこでのことが「祈り」レベルで私の中に感動を巻き起こしてる。

昨日書いた
37度で人の血管から水素が発生する記事もそう。

人間の科学の力。
その根底にあるのは愛。

アインシュタインが最後に娘に残した手紙に書かれていたことが
今繋がる。

あー、やっぱりあちこち話が飛んじゃう。

感動したとき、「あ!!」ってなった時

脳のシナプスがバババーって繋がるみたいで
いろんな記憶の断片が、パズルがはまるみたいに繋がって

言葉になる以前に細胞が
何かを「深く理解」するみたいなんだよね。

これはすごく大事な作業。私の脳の仕組み。
これ止めちゃうと新しい認識ができない。

書くことで、気づきやバージョンアップが加速する。

だからこのブログは、自分のため。
人にわかるように書くのはあきらめた(笑)

でも、見てくれてる人もいるから
ちょっとはわかるように書きたいんだよね。

続きます。


今はこんな機械も使うの好きになったよ

Who is staring in your life? その2

小さいときからずっと
みんなと同じようにしなきゃいけないと思って生きてきました。

「自分」っていうものは不要。
周りと合わせることだけを考えていたように思います。

たぶん、生まれた北海道から
両親の実家のある関西に移動してからずっと。

大家族の中で苦労する嫁の立場の母を
物心ついたときから必死で守ろうとしてきた。

そこでは「自分」っていうものは必要なかった。
「みんな」しかなかった。

そんな暮らしが当たり前で
自分の「しんどさ」にも気付かずに
それなりに楽しく、それなりに悩んだり
「普通」に暮らしていました。
普通なんて、本当はないのに。

つづく

Who is staring in your life?その1

あなたの人生で、主人公は誰ですか?

「ながいながいペンギンの話」というお話がありました。
子供のペンギン、ルルとぺぺが冒険をするお話です。

まだ5歳の頃、絵本しか知らなかった私は
「こんな長いお話があるなんて!」とびっくりしたのを覚えています。

小学生の高学年になって、再び図書館でその本と出会ったときは
「長いと思ってたのに、こんな短いお話だったんだ!」
と逆に驚いたのも覚えています。

幼稚園の発表会で、そのお話のお芝居をしました。
私はその他大勢の、子供ペンギン。

セリフは一つもありません。
おまけに風邪をひいて
みんなのお芝居を舞台の袖から見ているだけでした。

その後も、発表会があるたびに
私はその他大勢でした。

主役になる子たちは、元気で華やかで
私から見ると別世界の子達に見えました。

みんながキラキラして見えた。

私は地味でいつも目立たない、そういう人間なんだと思っていた。
ううん、自分でそう決めていたんだと
今ではわかります。

ずーっと、その他大勢の人生。
私の人生という舞台の上で、主人公は行方不明でした。

つづく


つかのまの、名前も知らないお友達

バス停までの道のり、
立ち止まって、よそのお庭の花を見てたら
「来週くらい紫陽花が
きれいに色づくから取りに来て、切っとくから」
って声かけてもらった。

バスを待っているとき、
汗を拭こうとして、ハンカチがないのに気づいた私に
「これ、お洗濯してあるから」
と予備のハンカチをくださった女性。

帰り道、バスの時間待ちに寄ったカフェ。
カウンターの、隣の席の人とお菓子を半分こづつした。
ふたりとも
「コーヒーと一緒に
甘いものをちょっとだけ、食べたかったんだよねぇ」

3人とも、名前も知らない人たち。
私より、ひと回りかふた回り
先輩の女性。

目があって
今日は暑いですね、からはじまって
あっという間に
友達同士みたいに普通に話してる。

ほんの数分間のお友達。

昔はこういうの
すごく恥ずかしかった。

母がだれとでも、初対面の人とも
友達みたいに話しかけたりするのを見て
「いやだなぁ」って思ってた。

でも、いつの間にか
そういうとこ、母にそっくりやわ。
今はそれが、おかしくって楽しい。