小鳥のきりりA7     「夫への電話」☆

洗面所を出る前に、台をすみずみまでタオルで拭き、その時は確かに何もなかったのに、ほんの3分ほどの間に忽然と現れたハガキ。

意味がわからず、狐につままれたような気持ちでしたが、なぜか悪い感じはしませんでした。

結婚してすぐに住んでいた家の近所にあった、そのお酒屋さんのハガキを見ていると、若い頃、よく夫とビールや、調味料を買いだしに行ったのを思い出し、ほのぼのとした気持ちになりました。

ふと、夫に電話をしよう!と思いました。

いつも朝ごはんを食べに行くお店の片隅に、貸してもらえる電話があるのを見つけていたので、そこに行きました。

片言の英語で、使い方の説明を受け、数回トライして、なんとか家につながりました。

現地の事情がわからず、携帯もないので、旅先からは連絡できないかもしれないと言っていたので、電話に出た夫はとてもうれしそうでした。

経由地のタイで3日滞在したので、日本を出て1週間目。

久しぶりの夫の声を聞くと、なぜか長年の同志のように感じました。

「電話代、高いから、すぐ切るね!」と前置きして、こちらの様子とさっきのハガキの出来事を話しました。

夫は、「そうかー、〇〇屋さんからのハガキかー。懐かしいな。でも不思議やな、さすがインドやな」と言いました。

飛行機の中で、きりちゃんの姿が見えた話もしました。

「僕、毎日きりちゃんに、ミーちゃんのこと守ったってやってお願いしてたんや。もしかしたら、そばにおってくれてるんかもな。」

「そうやったん。うん、そうなのかもしれないね。」

「とにかく、元気で。楽しんで。」

「うん、そっちもね。」

短い会話でしたが、なんだかいろんなことが、私の理解を超えてつながっているような、さらに安心な気持ちが満ちていくような、そんなことを感じました。

ハガキはいつも持ち歩くポーチに入れ、旅の間のお守りになりました。

小鳥のきりりA6       「ハガキ」☆

リシケシで宿泊していたのは、シバナンダアシュラムという流派のヨガのゲストハウスでした。

 洗面所のバケツと手おけを使って朝一番に洗濯をし、そのあと、歩いて5分ほどのカフェに朝ごはんを食べに行くというのが、遠出をしない日のおきまりのコースになっていました。

インドに着いて三日目の朝、不思議なことがありました。

いつものように洗面所でTシャツやブラウス、タオルなどを洗濯し、ビショビショになった洗面台の上を、持ってきた雑巾代わりのハンドタオルできれいに拭き取ってから、干しに行きました。

そしてバケツを片付けに洗面所に戻った時、何かが目に入り、ハッとしました。

さっきはなかったものが洗面台の上にあるのです。

それは2つに折りたたんだ、ハガキでした。

洗面ボールの右側の石でできたスペースの真ん中に、まるでメッセージカードのようにきちんと置かれています。

なんでこんなものが?

数分前まで、なかったのに?!

手に取ってみると、それは夫宛に送られたお酒屋さんからの案内のハガキでした。でもなぜ、そんなものがここに?

普通に考えたら、カバンの中に紛れ込んでいて、何かの拍子にそこに落ちたのでは?ということがあるかもしれません。

でも、荷物は最大限軽くするために、ガイドブックのいらないところは切り取ったり、これでもかというくらい、余分なものはメモ用紙一枚入れないようにしていたので、日本からそんなものを持ってきたはずがない。

それに、そのお酒屋さんはもう数年前にお店を辞めて今はないし、そんなハガキが家に保存してあったとも思えません。

洗面所入り口のすぐ横ですが、部屋には鍵をかけていて、誰も入ることはできません。

一体どういうこと??

小鳥のきりりA5      「広い世界・はじめて出会う私自身」


インドの旅は一ヶ月。

前半は、ヨガの聖地であるリシケシという町での滞在でした。

首都のデリーから車で9時間、ヨガとヒンズー教のお寺がたくさんあって、お坊さんがいっぱいいるベジタリアンのその町は、空気が透き通っているような感じで、汚いイメージしかなかったガンジス川も、ここでは青く澄んで見えました。

初めて一人で歩く外国の町。

言葉も通じない、文字も読めない、日本と全然違う文化に戸惑うことはたくさんありました。

だけど、来る前に感じていた不安は一切なく、ただただ、とほうもない開放感を味わいながら、毎朝、起きた時から、1日の始まりにワクワクし、気の向くまま小さな冒険をたくさんしました。

日本では感じたことのなかった私、それは、初めて出会う私でした。

これが私?

なんなの、こののびのびした、途方もなく自由な感じは?

原色の色鮮やかな衣装をまとってすれ違う目の大きな人たち。

ここでは誰一人、私のことを知らない。

私はただの私だ。

そんな感じが驚くほど新鮮で、果てしない気がしました。

出発前に、きりりがくれたメッセージ。

「広い世界に出て行きなさい」

その言葉がふと、よぎりました。

病気で何年も動けなくて、自分にはできることが何もない、自信もなく、いつの間にか見えない殻に閉じこめられて身動きが取れなくなっていた私が、今、日本から遠く離れた知らない場所にいて、イキイキと自分を生きている。

行きたいだけ広がる世界で、ただ生きていることを楽しんでいる。

とても不思議な感覚でした。


小鳥のきりりA4 「きりちゃんが見える?!」


その旅の最中にも、私はきりちゃんに関するちょっと不思議な体験を何度かすることになりました。

初めにびっくりしたのは飛行機の中。

ふと、前の座席を見ると、背もたれのカバーの上に、きりちゃんがこっちを向いてちょこんといるではありませんか?!

え!え!どういうこと?

目をこすったりしてみても、やっぱりいる。というか、見える?

「私、幻覚が見えてるのかな?」と少し自分の感覚を不安に思いましたが、すぐに「まぁ、いいや」って開き直りました。

そして、人差し指をきりりの足元に差し出して、小さな声で、「おいで」というと、私の指に以前のように乗ってきました。

小鳥の重みで、指が少し下に下がりました。

一緒におしゃべりしたり、羽繕いを手伝ってあげたり、感覚がとてもリアルだったので、幻覚?という思いも、途中で忘れてしまっていました。

幸い、隣の座席の人はイヤホンをして眠っていたので、ひとしきり小鳥と一緒に遊んだ後、また、前の背もたれにそっと返しました。

視線を外して、もう一度見ると、もうきりりの姿はなくなっていました。

なんだか、夢を見ているようでした。

この後も、飛行機に乗っている間、きりちゃんは時々姿を現しては消えました。


小鳥のきりりA3 「もうひとつのメッセージ」

そのあと、小さな箱を探し、そこに綺麗な柔らかい紙を敷いて、きりちゃんを寝かせました。

本当に眠っているだけにしか見えません。実際は、セキセイインコは枝に止まって眠るので、横になったりはしないのですが。

なぜか少しも悲しみは湧いてこず、ただ静かな気持ちで小鳥を眺めている時に、もう一度、きりちゃんの声が聞こえてきました。

「もう、大丈夫。広い世界に出て行きなさい。」

その声を聞いた時、「インドに行くのも、体のことも、あぁもう大丈夫なんだ」と感じました。

きりりの声がそんな風に頭の上の方から聞こえてきたのは、この2回だけでした。

初めてのことなのに、何の不思議にも疑問にも思わず、その声はスーッと素直に私の深いところに入って行きました。

翌日の朝、夫と二人で大きな木下にきりりを埋めに行った帰り道、昨夜聞こえた声の話をしました。

「きりちゃんは自分で決めたんだと思うんだ。

だから、くんじさんはショックだとは思うけど、これがきりちゃんの寿命だったんだよ。

私はきりちゃんにインドから帰るまで待っててねってお願いしてた。

もしかしたら、私の留守中にきりちゃんの寿命が尽きるのを予感して、早めたのかもしれないって思う。今日は休日で、二人でこうしてお別れすることもできたし。

都合のいい考え方かもしれないけど、全部わかっていて、自分で決めたんじゃないかなぁ。」

夫はしばらく黙っていたけれど、こんなことを言いました。

「実はあの時、僕が下ろそうとした足の下にきりちゃんが飛び込んできたんや。あかん、なんでや!って思ったけど、間に合わなかった・・・」

手乗りで放し飼いにしている小鳥を誤って踏んでしまう残念な事故は、時々聞きます。

私も一度だけ、台所で料理をしている私の踵のすぐ後ろにいるところにいるのに気がつかず、蹴飛ばしてしまって、ごめん、ごめんってことがありました。

そんなこともあって、それ以降はとても気をつけて、15年間、ドキってするような危ないことはありませんでした。

きりちゃん自身も、飛ぶ力が弱くなってきた3年くらいは、とても用心深く、歩いている人の足元には決して近寄りませんでした。

だから、夫の言葉を聞いて、私はやっぱり、きりちゃんは自分でそうすることを選んだんじゃないかなって思いました。

小鳥のきりりA2    「きりりの決断」

さて、こうして毎日きりちゃんに話しかけながら
私はインドへ行く準備をしていました。

この頃、私は大病の後の体調がまだ不安定でした。

何の知識もないインド、海外経験は新婚旅行くらい

しかも現地では一人旅という設定の旅の参加に、いろんな心配も抱えていました。

それでも、ひとつひとつクリアしながら、出発の二日前を迎えました。

週末の夜、夕食も終わって、私は荷物のパッキングをしていました。

すると、もう寝ている時間のきりちゃんが、

急に、外に出してくれとパタパタと騒ぎ始めました。

いつも夜8時ごろには、自分からカゴにはカバーをかけて欲しいと寝る準備の催促して、

あとは静かに寝ているきりちゃんなのに、珍しいなと思いながら、

「はいはい、わかったよ、どうしたの?」と、外に出してあげました。

指に乗せて、ひとしきり私とおしゃべりしたあと、

きりちゃんはいつものように、お気に入りの椅子の足ばの所にちょこんと止まりました。

「あと少ししたら寝るんだよ。」ときりちゃんの話しかけ、

私はそのままパッキングを続けました。

テーブルを挟んで向こう側では、夫が立って、何か自分の用事をしていました。

私はテーブルに背をむける格好で、座り込んでいました。

そのほんの数分あと、突然、2つの大きな声が響きました。

「僕、もう行くね」という声が頭の後ろから、

それに重なるように、「わぁ!」という夫の悲鳴が聞こえました。

その瞬間、私は「あぁ、今、きりちゃんが行ったんだな、夫がきりちゃんを踏んだんだな」とわかりました。

とても落ち着いた、静かな「あぁ、そうなのか」という気持ちでした。

夫は、パニックのようになって泣いていました。

「なんてことしてしまったんや!俺がきりちゃんを殺してしまった。

みーちゃんがあんなに大事に可愛がっていたのに・・・!」

夫が泣くことはほとんどないし、あんな風に取り乱しているのを見たのは初めてで、

とても気の毒でした。

きりちゃん、ごめん。ミーちゃん、ごめんと泣きながら、何度も繰り返し泣いていました。

きりちゃんは何の傷もなく、ただ目を閉じているだけのように見えました。

両手に包んで、夫に見せました。

「落ち着いて。ほら見て。綺麗な顔してるよ。

きりちゃんは殺されたなんて思っていないよ。これがきりちゃんの寿命だったんだよ。

それよりも、今までありがとうって言ってあげて。」

夫は泣き腫らした目で、「きりちゃん、今までほんまにありがとうな。」と言いました。

「僕、もう行くね。」というきりちゃんの声が聞こえた私には、

あの子が自分で旅立つ時を決めたとしか思えませんでした。

でも、そのことは夫には言わずにいました。

普通に考えると突拍子もない話に聞こえるし、明日、落ち着いてから話そうと思いました。

小鳥のきりり Episode 0


2010年2月5日、私がインドの旅に立つ直前に
一緒に暮らしていた小鳥のきりりは亡くなりました。

振り返ってみると、その日の出来事を境に
私は自分の人生が押し流されるように大きく変わっていき
見える世界もまるきり違っていきました。


人は誰かと濃密に関わることで
ときに不思議な、意味深い、思いもよらない化学反応を
起こすのだと思います。

私のこの場合、それはきりりとの交流でした。

きりりは人ではなく鳥でしたが
体重わずか29グラムの小さな彼が
たくさんのことをプレゼントしてくれました。

目に見えない世界を理解していくこと
本来の自分の生き方を取り戻していくこと
今の自分の、天職とも思える仕事、仲間。


なんだかファンタジーのようにも思えるきりちゃんとの出来事を
いつか絵本にしたいとずっと思っていました。

絵は書けないし、文章も習ったこともない。

でも、とりあえずきりちゃんとの記憶を
書き出してみることを始めました。

2010.2.5を境に
エピソードA(after)
はいなくなってからのきりちゃんにまつわるちょっと不思議な体験を

エピソードB (before)は
普通のインコとしてのきりちゃんとの日々の楽しかった思い出を
並行して書いています。

最初の方は以前、FBのグループに書いていたのを
転機しています。

小鳥のきりり A-1 「帰ってくるまで待っててね」

2010年の2月、習っていたヨガの関係で

インドに行くことになりました。

まだ体調も不安定だったことも気になっていたけれど、

一番の気がかりは小鳥のきりちゃんのことでした。

一般的にセキセイインコの寿命は7〜8年と言われているなか、

きりちゃんは15、6歳。

でも、高齢とはいっても、若い時と見た目もほとんど変わらず、

羽の力が衰えてきて、飛び回ることをしなくなった以外はいたって元気な子でした。

それでも年齢のことを考えて、亡くなる3年ほど前からは、

冬は出かける時や夜間には、カゴの下に湯たんぽを入れて、

寒くないようにこまめに温度管理をしたり、気をつけていました。

私が留守の間に、寿命が来るかもしれないな。

歳も歳だし、それはそれでしょうがない。

だけどもし私のいない時に、きりちゃんが亡くなったら、

夫が責任を感じるだろうなとそれが気がかりでした。

だから、インドに行くことが決まってから、

毎日きりちゃんに話しかけていました。

私が帰ってくるまで、待っててね。元気でいてね。

今こうして思い出して書いていると、

当時、お別れの時に私がそばにいなかったら、

きりちゃんがかわいそうとか、私が悲しいとかは
一切思いもしなかったのが自分で不思議です。