父との対話 新しい家族の連鎖をつくろう!

父と長く電話で話していて、あらためて思ったのは
私と父とでは見ている世界が違うんだなぁって事。

父も同じことを言っていた。
しみじみと。

病気で、入退院を繰り返している今
私はできることはなんでも試したらいいっていい考え。

父はお金のことが心配で動きだせない。

それなら私がなんとかするよ
退院祝いの先取りだと思って受け取って?

それはできない。
だって、どうなるかわからない。
100パーセント確実なことしかやらない。やれない。

ここがポイントなんだよなぁ。
お金がないんじゃない。自分に使えない。
そして、確実っていう保証がないと動き出せない。

私は100パーセント確実なことなんて
ないって思ってる。

でも、やる。
やってみる。

やるって決めたら
それを信じてやる。

闇雲に信じるんではなくって
やりながら、いろんな角度から見ながら

違うものに目を向けてみたり
変えてみたり、やめてみたりもする。

いつも
自分がどこに向かっているのか?

自分の体はどうなっているのか?

自分の心は何を感じているのか?

そうして、軌道修正していく。
違っていても、失敗って思わない。

どんどん、試していく。
感じながら、考えながら。

これが私の本来の動き方。
それを今、思いきり楽しんでいる。

昔はこうじゃなかったんだよね。

親を見て、周りを見て
こうするのが一番なんだ、みんなと同じようにしなきゃ・・・

そればっかり考えて、でも、できなくて
でも、がんばって・・・

私が私じゃなかった。
誰かの借り物の生き方だった。
全部じゃないけど。

そういう時期がながかった。

お父さんと話していると
お父さんもそうなんだろうなって思う。

お父さんが悪いんじゃない、誰のせいでもない。
ただ、苦労の連鎖があっただけ。

まじめで誠実で優しくて
周りの人たち、みんなを大切にするお父さん。

お父さんが命そのままに生きているのを見たい。

年をとって、自信がなくなって
お金の心配をしたり
子供に迷惑かけないようにとか
病気や介護が当たり前の世界じゃなくて

自分で自分の人生を作れる
何歳からだって、やりたければできるよっていうのを
思い出してほしい。

今日の電話で
何かがお父さんの中で変わったみたいだった。

お母さんに、親の介護のことで苦労をかけたこと
心の底から申し訳ないって思っていること
はじめて、話してくれた。

ずっとこのこと誰にも言わずに
自分のこと責めてたお父さん。

二人ともが同時にいなくなることはできないやろ。
どっちかが後に残ることになる。
お母さんにだけはわしの介護のことで苦労をかけたくないんや。
それだけは絶対したくない。させたくない。

自分のことはいいからと
お母さんのことばかりを泣きながら話していたお父さん。

お母さんがそれ聞いたら
どんなに喜ぶだろう。

お母さん、言葉が欲しいって言ってた。
お父さんからの。

普段のお父さんは
そんなこと、一切言わないからね。

二人とも、何よりも痴呆になることを心配してる。
私もそう。
あんな過酷な介護は私にはできない。
しないよ、私。
だって死んじゃうもん。

ううん、親だってそう。

自分のことなんて置き去りにして
家族のことを必死でやってきた。

それをくぐり抜けて、生き抜いてきた二人。
生きてるだけでもすごいって思うよ。

生きているって本当にすごいこと。
きっと、誰にとっても。

でも、この連鎖はもういらない。

親が病気になって自力で生きていけなくなって、
子供が無理をして親の面倒を見て、病気になってっていう、連鎖。

うちに続いていたこの流れは
私で断ち切る。

もっと、楽しいのがいい。

愛や、優しさや、感謝や、自由に生きる歓び
そんなのがくるくると連鎖するのがいい。

全部、自分が選択する。

子供がいないのもそんな意味があったのかも知れないな。

痴呆になってから自由になるんじゃなくって

今すぐ、命そのままに自由になんでも話したり、やってみたり
好きなことをして生きていきたい、みんなで。

親と生き方、みている世界が違うって
離れていくのも一つ。

親が私を見て、そんな生き方いいなって思ったら
一緒にやるのもよし。

それは親が選ぶことでもあり
私がどうしたいかでもある。

でも私は、後のがいいな。
だって、そっちの方が楽しいもん。

生き方は好きに選べる。

何十年も生きてきたやり方を、いつ変えたって
何度変えたっていい。

そんなふうに思ってるよ、今の私は。

つづく